この問題、更にその元にある戦争問題について、意見がありながら余り表現してこなかったことを反省しています。
昭和7年生まれの男性です。 まさに激動の時代の真っ只中に育ってきたのです。
もう少し早く生まれてきたら、おそらく命は無かったのでないかと思っています。
“日本は神の国である、神風が吹いてでも、負けない、必ず勝つ――天皇の命を受け 国のために命を捧げ、靖国神社に祭られるのは、これ男子の本懐である“
と本当に思っている軍国少年でした。 今思えば小学生で既に、オウム真理教で有名になった、マインドコントロールを受けてそうなっていたのです。
私にとって靖国神社は皇国,軍国主義の象徴に思って来ました――事実と違うと言う人が居ても、徹底的に利用され、またそれを許してきたと言うより、それを前面に押し出し、戦争賛美の一面を担っていたのではないかと思っています。
しかし、最大の問題は、日本が戦争の責任を誰も取っていない、本当の意味では、取らせていないと言うことです。
最近、唯一の戦争裁判――東京裁判すら、不当な裁判であり、従うことは無いという言うことが言われだしたのです。
そして、その結果、その戦争の責任者と言われる人達を、小泉首相の言う“心ならずも国のために命を捧げた人”を祭っている、靖国神社に祭ったのです。
このことは、多くの問題を含んでいます。
進攻された諸国のみならず、日本の国民のなかにすら、言語道断と思っている方も多いと思います。
私は、その一人です。
特に戦争で理不尽な被害を受けた方々はどう思っているか、しかし、年とともに、その思いを持っている人達は高年齢になり、どんどん亡くなって少なくなって来ているのです。 当然、アンケートなどには反映してこなくなっていると思います。
“心ならずも国のために命を捧げた”方々を祭ること、顕彰することには全く問題はなく、むしろ、いろいろ問題は内蔵しているとはいえ現在の繁栄を享受している国民にその思いが不足なのでないかと思っています。
終戦、混乱しながら――墨で塗りつぶしたり、新聞を折って切った教科書で勉強を始め、民主主義教育が始まりました。
軍国少年は混乱しながら、こう考えました――沢山の犠牲はでたが、戦争にまで負けて、やっと皇国、軍国主義から抜け出せ、民主主義を手に出来たと。
戦争中の精神主義の反動もあってか、今度は科学少年となり、科学一辺倒で高度成長時代に突入しました。
ゼロ戦の性能、活躍の本にめぐり合い、その性能と戦記から、戦争の推移、内容と結果に興味を持ち、沢山の戦記の類を読みました――はらわたの煮え繰り返る思いをしました。
その結果、うっすらと思っていたこと、やっぱり日本は戦争に負けてよかったのだと、あのまま勝っていたら、僕達はどうなった、日本はどうなっていたのだろうと――酷い戦争を立案して、実際に実行してきたのです、人間性の無視――人の命をなんとも思わない――今思えば、肉弾三勇士あたりから既に始まっていたのだと思いますが――特殊潜航艇に始まり、神風特攻隊、回天しまいにふんどし一丁で頭に爆雷をつけ体当たり――作戦は失敗しても責任は取らない、どんどんえらくなる、兵站(今でいうロジスティック)を考えない進攻――現場の指揮者、兵隊はどんな思いをしたか、餓死した人が如何に多いか――相手側の戦記を読んでも、最初は勇猛果敢と思っても、なぜ、負けるのをわかっていながら、命を捨てるように向かってくるのか――現場の指揮者は上申しても聞き入れてもらえない、どんな思いをして戦ったか?
そして、誰も責任を取らない――今の政治も国政も天下り無駄使いも――無責任が大手を振ってきた、戦争の起きるのには、いろいろな問題があったとも言われるが、あんな酷い中身の戦争を土壇場まで続け、責任を取らない、取らせない。
そして、A級戦犯の靖国合祀――そして、首相の参拝――自分が被害者ならどう思うのだろうと考えないのか、国民の被害者はどう考えているか、そこに祀らないでと訴える人も居る――この現状を目の当たりに見て、苦々しく思います。
昭和7年生まれの私から見て、少なくとも、首相の参拝は避けて欲しい――別の顕彰場所を作るべきと思います。
戦犯の分祀が出来ないなら、尚更のことと思います。
追記
小泉首相が国会答弁で言った――それをテレビで見て腹が立った――
いわく
“罪を憎んで人を憎まず”相手もそう言っているではないですか!
これは、少なくとも進攻した側のいう言葉ではない、進攻された側が言う言葉である――私は、こう聞いています――蒋介石氏が“罪と憎んで人を憎まず”と言って、無傷で引き揚げさせたと!(それに対し、ソ連はなにをやったか、引き揚げの苦難、シベリヤ抑留??)
心ならずも、国のために命を捧げた方達に哀悼、不戦の誓いを捧げるのは、当たり前で、賛成です。
今となっては、戦争に関係のあった人、関係の無い人、国籍、宗派にかかわらず、誰でもが、素直に祈れるところを作るべきだと思っています。
追記 2006年04月15日
二大政党実現のため基本的には民主党を応援していた僕、しかし成り行きから、目指すところに共感し、自民党をこわすともいう小泉さんでも良いかなと一時思い始めていた。、
ところが、靖国問題、戦争責任問題、さらに、色々な発言――人生色々、消費税など、頭に来ていた――景気を回復させた?――リストラ、パートの増大――周りを見て一部の話だろうと疑問を持っています。
しかし、小泉さんのキャッチフレーズ型のノリとツキに比べ、野党のだらしなさとツキの悪さに、ただただあきれていました。
靖国問題については、国のために命をささげた方たちに誠をささげる、不戦の誓い――そんなのあたりまえの真中で、問題は別のところにあるのにそっぽをむいている――周りの人も同調してくる、腹を立てて、プログに書き込んだことも有るが、どうにもならない。
メール問題から民主党が変わらずを得なくなり、どうなるかと思ったが、小沢さんが引き受けることになり――災い転じて福となるか、希望を持ちました。
問題点への対応がはっきりしているようで気に入りました、とくに靖国問題は私の考えていたことに全く同じことをズバリ!――久し振りにすっきりしました。
小沢民主党に期待、応援します。 周りの有能な方も一緒に、二大政党を実現してください。 応援しています。
札幌市 竹村 修――昭和7年生まれの男性
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とりあえず、Yahoonoのブログに書いたーー昭和7年生まれの男性の思う戦争責任、靖国問題”を再掲載しておきます。